エフライの感想記

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個人的なフェルナンド・アロンソというF1ドライバーの思い出

今年のF1にアロンソがいない。それだけで何となく寂しくなってしまうのは、多分自分だけではないでしょう。自分がF1を見始めた時からトップドライバーだったフェルナンド・アロンソ。

今回は、そんなアロンソについて思う事を思いつく限り書いていこうと思います。

 

一応念のために。これは本当に個人的に思う事だという注意書きをしておきます。多少不快な思いをされるかもしれませんが、ご愛嬌という事でよろしくお願いします。

 

 

自分史の中のアロンソ

 

自分がF1を見始めたのは何年か。正確には覚えていません。

記憶を辿っていくと、04年の琢磨表彰台の記憶はありませんが、05年鈴鹿の記憶はあるんですよね。実際に、このレースをリアルタイムで見たのか、数年後何かしらの手段で見たのかは定かではないんですけど、05年シーズンが自分の初F1と認識しています。

 

で、何故最初に自分語りをしたかと言うと、自分がF1を見始めた時から既にアロンソはトップドライバーだったという事を示したかった訳であります。

ミナルディ時代の下積みなんて知りません。自分にとってアロンソというドライバーは、常にトップであり続け、常に王座に近いドライバーなんです。

 

 

でも、マイルドセブンカラーのアロンソは正直嫌いでした。

何故なら、自分はシューマッハ、そしてフェラーリの大ファンだったからです。残念ながら、フェラーリファンになった詳細なきっかけは覚えていません。

ですが、なんとなく『スーパー戦隊』シリーズの影響なんじゃないかな、と思っています。というのも、自分がF1を見始めた時って幼稚園児や小学生だったので、『仮面ライダー』と並んで『スーパー戦隊』も好きだったんですよね。で、そこで”赤=正義”、”赤=リーダー”という変な図式が確立し、それがそっくりそのままF1にも”赤=フェラーリ=正義&リーダー”という風に転用され、フェラーリファンになったんじゃないかと、そう思っています。合っているかは分かりませんが笑

 

 

まぁそんな訳で、当時のアロンソは幼き自分にとって、絶対的リーダーであるシューマッハに歯向かう憎っくき敵だったんですよね。何回、早くリタイアしてくれと思った事やら…笑。今では笑い話ですけど、当時は本気でアロンソを嫌っていたのは今でも覚えている事です。

 

そんなマイルドセブンルノーのアロンソには苦い思い出が沢山ありますが、特に印象に残っている事は、06年鈴鹿ですね。

シューマッハがエンジンブローをしてアロンソが優勝。これが大きく響き、シューマッハは06年のタイトルを落とすというフェラーリファンにとっては最悪な出来事が起きたレースでした。「これが最後の鈴鹿なのか!皇帝はこんな形で鈴鹿を後にしてしまうんでしょうか!」という塩原アナの実況と共に、あの煙を上げたシーンは胸に残っています。

 

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ゲフンゲフン。

話をアロンソに戻しますね。 

その後、シューマッハや琢磨とは別に応援していたライコネンが、前述の正義のチームであるフェラーリに移籍したので、余計にアロンソは自分の中で”鬱陶しい奴”という扱いでした。

ゴールデンルーキーのハミルトンとのいがみ合いは、「いいぞ!もっとやれ!」と思っていました笑。結果的にライコネンが07年のタイトルを獲れましたし、ハミルトンファン、アロンソファンには申し訳ないですが、ライコネンファン兼フェラーリファンとして07年シーズンは最高のシーズンでした。

 

 

ハミルトンやロンデニスと大喧嘩した為、アロンソは、複数年契約にも関わらずマクラーレンをたった1年で離脱し、ルノーに出戻りました。

しかし、1度アロンソが抜けたルノーにはタイトルを争える力がなく、中団争いに埋もれていました。なので、自分の中でのアロンソアンチ度が下がりました。逆にアロンソに僅かですけど、期待していた時期でもありました。

しかし、折角(?)下がったアンチ度が急上昇したのが、08年シンガポールGP。

このGPはフェラーリファンの自分にとって、ライコネンに代わりタイトル争いをしていたマッサがピットミスで沈んだレースですからね。そのミスが起こったピットは、アロンソが勝つ為に、同僚が意図的に起こしたクラッシュによるSCで発生したものでしたからね。フェラーリのピット作業にも腹が立ちましたが、それ以上にアロンソとルノーに腹が立ったレースでした。 

 

 

その後、失望のルノーからライコネンから入れ替わる形でフェラーリに加入したアロンソ。

正直アロンソと言えば、フェラーリと戦っていた印象が強かったので、最初は素直に応援出来ませんでした。初年度の10年はベッテルにタイトルを獲って欲しいと思っていましたし、実際最終戦でペトロフにアロンソが詰まった時、手を叩いて喜んだのは忘れられません。今思うと、ペトロフにひっからず、3度目のタイトルを取れていたらどうなっていたのか。凄い気になりますね。

 

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タラレバはスポーツにとってはNGワードであって、10年のタイトルはベッテルが獲りました。その後、ベッテルが連勝しだすと、いつの間にか、ベッテルを応援せず、アロンソを応援するという昔では考えられない事をしていました。

具体的に何年からとは覚えていませんが、常勝軍団レッドブルに立ち向かえるのはフェラーリのアロンソしかいないと思うようになったんでしょう。また、ポールトゥウィンの単調なレースがあまり好きではないという好みも関係していたと思います。ベッテルの持ち味は圧倒的な独走レースですもんね。逆に跳ね馬アロンソは後ろの方から頑張っていた印象があります。そういう部分が、”アロンソ憎し”から”アロンソ頑張れ~”に変わったんだと思います。

 

 

そして、まさかのタイトル無しに終わったフェラーリの次のチームは、08年当時なら信じられないマクラーレンでした。

バトンと組み、最強軍団!これはタイトル獲得待ったなし!と思いきや、ホンダPUの性能不足により下位に沈むレースが相次ぎました。第2期マクラーレン時代のアロンソは色んな意味で見るに堪えませんでしたね…。マシンは遅くて止まる。アロンソは無線だけでなく、チームと共にメディア等に向かってブーブーホンダに対する文句を言うという、本当にワークスチームか?と思う程、酷いチーム体制でしたしね。

 

そしてルノーPUにスイッチした18年シーズンも大きな戦闘力アップにならなかった為、アロンソはここでF1引退を決意。最終戦となったアブダビでのハミルトン・ベッテルと一緒にドーナツターンをやっていた光景は忘れる事ないだろうな…。出来れば、ライコネンにも居て欲しかった…

 

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印象に残ってるレース5選!!

 

と見出しを打ちましたが、色々ありすぎて絞りきれないんですよね…笑。長々と書いてもアレなので、苦し紛れですが5つに絞って書いていこうと思います。

 

 

  • 05年 日本GP

 

このレースは、ライコネンファンの自分としては本当に最高のレースで、ライコネンファンになった切っ掛けのレースなんですよね。

17年のインディ500があるまでは1番好きなレースだったんですけど、このレース、アロンソのレースとして見ても凄いんですよね。16番手スタートから3位フィニッシュという快挙。DRSもない、しかも抜きにくい鈴鹿でこれは凄い。流石としか言葉に出来ません…

タイトル決着後なのに1つでも上の順位へ上がろうとするドライビングには、彼のレースに対する姿勢が良く現れています。当時はアロンソの事が嫌いでしたが、改めてこのレースを見直して、ライコネンだけじゃなく、アロンソもスゲェと思いました。

130Rでシューマッハを外から抜く映像は今見ても鳥肌ものです…

 

 

  • 09年 スペインGP

 

マクラーレンからルノーに出戻ったアロンソ。08年こそ2勝出来ましたが、この年は愛車、R29が失敗作も良いところ。ボロクソに遅い車に仕上がっていました。

しかし、ここは2度のタイトルドライバー。母国のファンの前でみっともないレースをする訳にはいかない(妄想です)と、素晴らしい走りを披露しました。8位という高順位を予選で獲得すると、決勝では芝生にタイヤを落としながらもレッドブルのウェバーをあわや抜くかというところまで行ったりする等、素晴らしいレースを魅せてくれました。

 

結果は5位入賞。マッサの燃料が1周足らないというフェラーリのポカにも助けられた上位フィニッシュでしたが、それでも、扱いにくいマシンで至極の走りでしたね…

 

 

  • 10年 ドイツGP

 

こっちは悪い意味で印象に残ってるレースですね。通称ザンユー無線が発令されたレースです。まだ8戦目なのに早い!と思った記憶。

まぁ開幕戦のオーストラリアから「俺を前に行かせろ」と言っていましたが、当時禁止されているチームオーダーをここまで露骨に実行するとは思いもしませんでした。

確か、これが原因でチームオーダー禁止のルールが撤廃されたんですよね。まぁ何て言うかこう…。クラッシュゲートといい、結構アロンソってしたたかで黒いなぁと思った一件でした。

 

 

  • 14年 ハンガリーGP

 

PU規定になり、レッドブル無双からメルセデス無双に移った初年度のとある一戦。

優勝はリカルドが掻っ攫っていきましたが、当のアロンソは、使い込んだソフトタイヤを履いているにも関わらず、最強マシンに乗るハミルトンの猛攻を凌ぎ切りましたからね。この2位は優勝とほぼほぼ同じ価値がある2位だと個人的に思います。

まぁ、このレースは高を括ってライコネンをQ1落ちにさせる(決勝6位)というフェラーリ特有のお家芸が発動したレースなので、100%好きなレースではないんですけどね…笑

 

 

  • 18年 アゼルバイジャンGP

 

これはアロンソの執念が見えたレースでしたね〜。

ルノーにPUを変え、テストこそボロボロでしたが、オーストラリアでは5位入賞。そこからの流れで来たレースでしたが、アロンソは序盤にマシンを壊してしまいます。ですが、アロンソはほぼ2輪走行でピットに帰還し、そこからマシンを直してレースに復帰という意地を見せ、結果はなんと7位入賞。まさにサムライというレースでした。荒れた展開でのアロンソって頼りになる感凄いですよね。

 

まぁこの辺りがマクラーレンにとって18年シーズンの絶頂だったんですけどね…

 

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というわけで以上が個人的に印象に残ってるレースでした。

本当はアロンソ・ハミルトン・マッサ・ウェバーの四つ巴バトルが見られた11年ドイツGPや、母国優勝、しかもアロンソ・ライコネン・シューマッハ勢揃いのポディウムだった12年のヨーロッパGPとかも入れたかったのですが、長くなりそうなので泣く泣くカット。本当、これ以外にも素晴らしいレースがあるんですよ!アロンソには!!

 

書いてて改めて思ったのですが、やっぱりアロンソって凄いドライバーだなぁと感じました。もう少しF1のトップチームでの彼の走りを見たかったです。

 

 

まとめ

 

「タイトルが2回とか少なすぎる」と思う程、速くて巧いレースを魅せ、ファンに多大なインパクトを残したアロンソ。そんな彼を19年シーズンから見られないと思うと本当に寂しいです。F1を見始めた時は「さっさとリタイアしろ」なんて思ってて、彼がF1から居なくなるのを寂しいと感じるなんて、これっぽちも予想出来ませんでしたが、年月が経ち色々見てきた今は、本当、心の底から寂しく思います。

 

 

F1以外で、それこそ、三大レースの1つであるルマンを制し、17年にはもう1つの三大レース、インディ500でも速さを見せたのは流石だと思います。更に、ついこの間のデイトナ24hでは、我らが可夢偉選手と共に優勝成し遂げました。単純に速いだけでなく物凄い器用ですよね、アロンソっていうドライバーは。

 

そんな彼が挑戦する次のステップを、1ファン(いつの間にファンに)として楽しみに見ていこうと思います。

 

 

本当にお疲れ様でした。

インディ500、頑張って下さい!

 

多分、琢磨選手の次に応援します!!