冬映画が終わり、Vシネが残ってるとはいえ、一旦終わりの時を迎えた『仮面ライダージオウ』。何の偶然か、平成ライダー20作品目にして、平成ライダー最終作となったこの作品は、一体どのようなもので、どのような感情を自分にもたらしたのか。折角の機会ですので、綴ってみようと思います。
ネタバレは兎も角、ひたすら隠されていた『ジオウ』の顔立ち。それが、プログラミングミスなのか何なのか、ブットバソウルで姿がお披露目になったのが既に懐かしい。
3作品目、『龍騎』から冒険して来たライダーのデザイン。「こんなのライダーじゃない!」というツッコミは、いつのまにか、お決まり行事と化していました。そんな嘆きとも言える声に「いや、だって顔に"ライダー"って書いてあるし」と公式が回答して来たのは面白かったし、やられたと思いました。
どんな見た目をしていても、顔に"ライダー"。しかも、こめかみ辺りに"カメン"もある事からどっからどう見ても"仮面ライダー"なんですよね。そのような事を、言われなくちゃ気づかないように、上手くデザインに落とし込んだのは凄いなと思います。今思うと、このデザインから本編の"強引さ"は出ていたのですね。伏線ではないでしょうけど、何か縁みたいなのを感じます。
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そして内容面ですけど、平成ライダー集合のお祭り作品というアナウンスを聞いてから、10作品目『ディケイド』とどいう差別化をするのか、気になったのを覚えていますね。『ディケイド』はリイマジネーションという事で大人の事情を回避していましたが、『ジオウ』はどうするのか。どこで読んだか忘れましたが、"レジェンドから逃げない"というインタビューがありましたし、期待と不安が混在していましたね。
そしてお出しされた『ジオウ』、本編総49話と冬夏冬の映画3作品。
「王様になりたいという主人公が、未来から来た人と一緒に先輩ライダーの力を手に入れて、魔王になる運命を変える」
という『ドラえもん』のようなテーマを引っ提げたこの作品は、
"平成"を全面に出したメッタメタの作品で、整合性や説明も明らかに足りないんだけど、何処かエモく、嫌いになる事なんて絶対にない
という結論を得ました。
主人公(ソウゴ)を魔王と呼ぶウォズが持ってきたベルトとレジスタンス側のゲイツが持っているベルトが同じという謎。タイムジャッカーの謎。本編とオーマジオウとソウゴの関連性。etc.etc.
色々ぶん投げた印象がある『ジオウ』。前半のビルド編やエグゼイド編と中盤〜終盤の1期ライダー編を比べると明らかに雰囲気が違いますし、レジェンドの出演状況やその他大人の事情により、脚本の路線変更が沢山あったのが容易に想像がつきます。
だからなのか、最初は平成ライダーを1つに纏めようとした作風から、やっぱり個性豊かな、この作品群を1つにまとめるなんて無理無理カタツムリ!平成ライダー最高!にシフトチェンジしたのがハッキリ分かりますよね。それを、ある程度の違和感がなく、完走出来るのは、正にこれまで、ライブ感で駆け抜けた平成ライダーだからこそ、だと感じます。
リアルを求めた『クウガ』から20作品。"歪"で始まったシリーズは、様々な凹凸を介し、遂には公式ですら纏めるのを放棄した。
それが一番現れたのが、夏映画ですよね。
誰がなんと言おうが、例え凸凹だろうが、自分達の平成(ライダー)は良いものだ。そういうある種の開き直りを見た時、自分はやられたと思いました。纏めようとするなら齟齬が生じる。でも、無かったことにするのもNG。じゃあ皆それぞれ独立してて良いじゃない。そんな平成ライダーに頂点も原点もない。付いてこれる奴だけ付いて来い。
そんな突き放しとも形容できるスタンスに、少なくない時間とお金を平成ライダーに注ぎ込んだ我々を離さない魅力があるんですよね。
リイマジネーションではなく、オリジナルのキャストを使っての二次創作ともいえるIFストーリーを展開し、時には嬉しいファンサービスもあり、平成ライダーを総括した『ジオウ』。最終的に、ソウゴが最高最善の魔王となり、世界を作り直したのは、自身や先輩方の世界を救うというのと、平成ライダーの終わりのWミーニングだと思うと、感慨深いものがあります。
ゼロワンと共演した冬映画でも、最終的には高校生として過ごす、本編後の平和な時空に帰っており、今後、余程の事がない限り、戦いに自ら赴く事はないのでしょう。それは登場キャラにとっては良い事でも、まだまだジオウやゲイツを見たい身とすれば、寂しい気持ちもあります。
2つ目
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『ディケイド』や『ゴーカイジャー』で培ったレジェンドの扱いはほぼ完璧で、例え出られない人が居たって、それを感じさせない勢いを持った作品だった『ジオウ』は、きっと万人向けの作品ではないのでしょう。加えて、どれだけ平成ライダーに入れ込んでいたかによって評価が180度変わる作品だとも言えます。
感じ方は人それぞれなので、勿論批判意見も否定しません。
ですが、99年生まれの自分にとっては、平成ライダーは、幼少期の憧れであり、受験等忙しい時の息抜きであり、毎週日曜日の楽しみ、大袈裟に言うなら、生き甲斐でもありました。
そんな平成ライダーを締めた『ジオウ』は、個人的に、平成のまとめだけではなく、子供時代の総括という意味を持っている作品です。
そんな作品、嫌いになんてなれます?
たまたま平成ライダーと同い年(『クウガ』が早生まれ)で、たまたまその平成ライダーは20というキリの良い数で終わり、そして20番目の作品に、東映は(これは狙って)総括的な作品を出してきた。
こんな偶然、そうそう起こらないですよね。そりゃ好きになるしかないですよ笑。
明るい作風に加え、そういう意味においても、自分の中で『ジオウ』は、名作や駄作の枠に当てはまらない、唯一無二の存在となりました。
勿論、『ジオウ』の展開は、まだしばらく続きます。その続きを待ちながら、新しい、大人、そして令和のステージを楽しんでいきたいと思います。